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日本のカバンの歴史6  柳からファイバーへ 

大正6年、革バンドやアテ革など革附属をつくって行李メーカーに販売していた奥田平治が、従来の三本革バンド締めの柳行李にウルシを塗り、錠前を取り付けた「新型鞄」を創案しました。
これが豊岡がかばんとして売り出した最初のものであるといわれています。



singata.jpg新型鞄【大正6年頃】
奥田平治が三本革バンド締めの柳行李に工夫と改良を加え、豊岡かばんとして売り出した最初のもの。




また奥田平治の片腕ととして働いていた植村賢輔は、皮革製品に着目した箱型鞄の製造を始めました。

大正10年、松本孝の考案した、バスケット型柳行李鞄が、信玄袋にとって代わり「大正バスケット」の名で、実用的でハイカラな携帯用旅行具として大流行しました。現在でも販売されています。

toubasuke.jpg籐バスケット【大正10年頃】
信玄袋にとって代わり、「大正バスケット」の名で実用的で、ハイカラな携帯用旅行かばんとして大流行した。

 
さらに奥田平治は、当初は電器絶縁物などに開発されていたヴァルカナイズド・ファイバー(木綿またはパルプ繊維を硬化させた堅紙)を東京で手に入れ、これを鞄の材料につかえないかと考え、遠藤嘉吉郎の援助でファイバーシートを入手し、昭和3年頃、松本孝の協力を得てファイバー鞄の商品化に成功しました。

fayber2.jpgハートマン型ファバー鞄【昭和6年頃】
角に帯を合わせてビョウで止めた頑丈なつくり。名称はアメリカの鞄メーカー、ハートマン社に由来

その後、

昭和5年、11名。
昭和9年、30名、生産数月産八千個
昭和13年、60名、月産約八万個


とファイバー鞄を手がける人が増え、杞柳製品の全国的な販売網に乗って販売されました。

昭和11年に開催されたベルリンオリンピックの選手団のかばんとして、豊岡のファイバー鞄が採用されるなど、この頃には、「ファイバー鞄」が、豊岡かばんの主流を占めるようになっています。



参考:豊岡かばんの歴史




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奥田平治
okuda.gif

大正6年頃、従来に3本革バンド締めの柳行李にウルシを塗り、錠前を取り付けた「新型鞄」を創作する。豊岡で初めて、これを鞄として売り出した。大正11年頃、電器絶縁物などに開発されたヴァルカナイズ・ファイバー(木綿またはパルプ繊維を硬化させた賢紙)の靴スベリ(中敷き)を東京で手に入れて、鞄の材料に使えないかと思い、研究、試作に着手する。松本孝の協力を得て、昭和3年頃「ファイバー鞄」の商品化に成功する。



松本孝
matumoto.gif

大正10年に創作した「バスケット型柳行李鞄」が、信玄袋に取って代わり実用的でハイカラな携帯用旅行具として「大正バスケット」の名で大流行する。
●但馬鞄嚢業組合2代目理事長 
●但馬ファイバー製鞄工業組合初代専務理事



植村賢輔
uemura.gif

奥田平治の片腕として働いていたが、「新型鞄」に刺激され、大正5年頃、皮革製品に注目し豊岡で初めて手箱などを中心とした箱型鞄の製造を始める。

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