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日本のカバンの歴史8 ビニールかばん 

戦後の高分子化学工業の急激な発達にともなって、昭和28年頃からビニールレザーなどがかばん素材として出始めていました。

昭和27年(1952年)頃、当時ヨーロッパの航空会社の客室乗務員に愛用された機内用バッグが、軽量で、見た目がスマートであることから人気があり話題を呼んだのが「スマートケース」です。当時は、フランスの一流メゾンにオーダーするのがある種のスティタスになりました。
マニラから持ち帰ったこのかばんを参考にして東京で作られるようになり、大ヒットしました。

制作側としても、これは別に素材を袋状に縫製し、あとで枠に被せたもので、素材のビニールレザーが大変軽く、昭和29年頃からミシン加工による縫製技術が導入されたため、急速に伸びていきました。

takemura_20090730185521.jpgスマートケース【昭和29年頃】
鋼板の枠を作り、ビニールレザーを被せチャックで開閉する手箱形のもの。寸法は尺3、4、5寸が圧倒的に売れ、婦人向きの小旅行又は洋裁鞄として愛用された。



この頃、山下庄一や尾崎豊一が、製造したトランクをニューブライトケースとして実用新案申請、「ニューブライトケース工業界」が設立されました。

newbl.jpgニューブライトケース
【昭和29年頃】
枠をベニヤで作り軽量化を図り、縫製加工したビニールレザーを被せたもの。金具の開口とプラスチック製の把手を使用。


参考:豊岡かばんの歴史





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日本のカバンの歴史7  多種多様なカバン 

明治後期から昭和初期にかけて、多彩な種類のカバンが誕生することになります。

抱鞄(かかえかばん)

rekishi2_12.gif


別名は折り鞄で、ビジネス用途で書類入れとして用いられた鞄。
寸法は20cm~40cm程度で、抱えて持つことが多かったが、
大正10年ごろ(1921年)から手提げ式が多くなる。学生鞄としても広く用いられていまいた。




ゲンコ

rekishi3_15.gif

口金を用いた手提鞄(かばん)で1880年(明治13年)頃から製作されました。




ボストンバッグ

J_bag21[1]

明治14年ごろ(1881年)ごろのものです。

旅行用として多く用いられる手提げの革製鞄。底が長方形。ボストン大学の学生達に愛用されていた事からこの名があります。日本では大正末から製造されるが、昭和初期からファスナー式が中心となります。マジソンバッグが有名。



図嚢(ずのう)

Jasszn01b[1]

明治25年(1892年)ごろ、陸軍軍人用として使用され、指揮官・下士官クラスが地図や教範その他必要書類等を機能的に収納し持ち運ぶために使用する皮製のバッグのことです。




手箱

J_bag23.jpg

明治41年(1908年)ごろより制作された、アタッシェケースの前進です。




背嚢(はいのう)

100-0060_IMG1[3]

陸軍将校用背嚢を改良したもので、大正天皇が学習院入学に際して、時の総理大臣伊藤博文により通学用として献上され、その後、ランドセルとして一般化していくこととなります。


参考:「鞄の歴史」 提供:日本鞄協会






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日本のカバンの歴史6  柳からファイバーへ 

大正6年、革バンドやアテ革など革附属をつくって行李メーカーに販売していた奥田平治が、従来の三本革バンド締めの柳行李にウルシを塗り、錠前を取り付けた「新型鞄」を創案しました。
これが豊岡がかばんとして売り出した最初のものであるといわれています。



singata.jpg新型鞄【大正6年頃】
奥田平治が三本革バンド締めの柳行李に工夫と改良を加え、豊岡かばんとして売り出した最初のもの。




また奥田平治の片腕ととして働いていた植村賢輔は、皮革製品に着目した箱型鞄の製造を始めました。

大正10年、松本孝の考案した、バスケット型柳行李鞄が、信玄袋にとって代わり「大正バスケット」の名で、実用的でハイカラな携帯用旅行具として大流行しました。現在でも販売されています。

toubasuke.jpg籐バスケット【大正10年頃】
信玄袋にとって代わり、「大正バスケット」の名で実用的で、ハイカラな携帯用旅行かばんとして大流行した。

 
さらに奥田平治は、当初は電器絶縁物などに開発されていたヴァルカナイズド・ファイバー(木綿またはパルプ繊維を硬化させた堅紙)を東京で手に入れ、これを鞄の材料につかえないかと考え、遠藤嘉吉郎の援助でファイバーシートを入手し、昭和3年頃、松本孝の協力を得てファイバー鞄の商品化に成功しました。

fayber2.jpgハートマン型ファバー鞄【昭和6年頃】
角に帯を合わせてビョウで止めた頑丈なつくり。名称はアメリカの鞄メーカー、ハートマン社に由来

その後、

昭和5年、11名。
昭和9年、30名、生産数月産八千個
昭和13年、60名、月産約八万個


とファイバー鞄を手がける人が増え、杞柳製品の全国的な販売網に乗って販売されました。

昭和11年に開催されたベルリンオリンピックの選手団のかばんとして、豊岡のファイバー鞄が採用されるなど、この頃には、「ファイバー鞄」が、豊岡かばんの主流を占めるようになっています。



参考:豊岡かばんの歴史




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日本のカバンの歴史5 命名「鞄・カバン」 

それまで「行李」や「袋」といわれていたそのに、「鞄」(カバン)という名詞はどのようにつけられたのでしょう。

明治初期、外国人が修理に持ち込んだ物が、日本人が初めて見たカバンでした。
スペイン語で「カバス(cabas)」と呼ばれていたため、それがなまり、カバンと呼ばれるようになりました。

それに、中国で"革職人"という意味の「鞄」という漢字をあるカバン屋さんがあてました。

件のかばん屋さんは明治7年創業の銀座タニザワというお店で、HPを見ると 

1890年(明治23年) 銀座に店を構える。 
禎三が考案したといわれる「鞄(かばん)」の文字を看板に掲げたところ、これが銀座をお通りになった明治天皇のお目にとまり、侍従職を通し「何と読むか?」との御質問を受ける。これをきっかけに「鞄」の字が全国に広まったと伝えられている。

 

とあります。

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日本のカバンの歴史4 柳行李からカバンへ 

豊岡かばんとしては、明治14年、八木長衛門が第二回内国勧業博覧会に2尺3入子、3本革バンド締めの「行李鞄」を出品しました。
また明治35年の第5回内国勧業博覧会出典目録には遠藤嘉吉朗の「旅行鞄」が記録されています。

kourikaban.jpg

この3本革バンド締めの柳行李は、外観はトランクと同じでしたが、トランクと呼ばれずに柳行李と呼ばれました。
その理由としては、これが従来の杞柳製品の改良品で、一般杞柳製品技術が応用されたものであり、また、柳行李で名高い豊岡で作られたことであるといわれています。




明治に入り、交通手段の発達に伴い内外旅行者が増加し、携帯運搬用の容器の需要がおこりました。それに応じて、柳行李には、さまざまな工夫発明がなされました。

明治39年、服部清三郎の「鞄型柳行李」、
明治42年、宇川安蔵のドイツ製品を模倣した「バスケット籠」
などが誕生しています。

この携帯に便利な鞄型、バスケット型の小型篭の多くは輸出されたようです。

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:バッグ :かばん :カバン
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